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その6
by 後藤 修身
目 次
出発 / 国境の町

賭博場

道路工事



ナンカンの美女



日本人の果樹園



中国に行きたく
なかった大仏


中国に行きたくなかった大仏

 ビルマ公路の旅もそろそろ終わりに近づいた。マンダレーから車で2時間ほどのメイミョ。シャン高原の入り口にある瀟洒な町である。最近ではピンウールィンというように名前が変わったが、まだメイミョといったほうがなじみが深い。メイミョというのは、『メイの町』という意味で、英国植民地時代のイギリス人将校、メイ大佐にちなんで付けられた名前だ。マンダレーのすぐ近くで標高1000mあまり、植民地時代にはイギリス人の避暑地だった。その時代の主人たちは戦後この地を去ったが、彼らに連れられてきたインド人やネパール人はこの地に根を張った者が多かった。今では彼らの子孫の姿をこの町でよく目にする。日本とも無縁ではない。戦時中は日本軍の司令部があった町だ。

 そのメイミョで人々の注目を集める出来事があった。私がこの話を最初に知ったのは、去年の夏頃、NHKニュースの海外トピックのコーナーであった。

 ことの始まりは1997年だった。マンダレーで造られた大仏が中国へ運ばれていく途中、メイミョで事故が起こり、車ごと横倒しになった。クレーンで吊って他の車に載せかえようとしたが全然動かない。そのことが噂になり、多くの人たちが見物に来て、その大仏にお布施をするようになった。「この大仏は中国に行きたくないんだ。メイミョにとどまりたいんだ」という話がまことしやかに囁かれるようになり、結局、近くの丘に立派なパゴダができてしまった。というような話であった。

 横倒しになったという現場に着いた。大仏が落ちたという道路脇のその場所。すでに地表はコンクリートで覆われ、周りは装飾された漆喰の塀で囲まれていた。そこから小高い丘の上を見ると、黄金のパゴダが輝いていた。そのマハアントゥーガンタ・パゴダへ向かった。真新しいパゴダの前に出た。乾期の太陽を浴びた純白と黄金色が眩しくてそこにたたずんでいると、数人の人たちに囲まれてしまった。みんな手に何かの紙の束を持っている。宝くじであった。「ここで買うと本当に当たるよ」と言っているらしい。ここは宝くじ売りでも有名らしい。というのも、超能力を持った大仏が人々の願いをかなえるというのだ。実際に500万チャット以上当たった人が3人、それ以下は数知れずという。それで、宝くじ売りが多いのだ。「現世利益を求めることなかれ」というのがビルマ仏教のはずだがどうなっているのだろう。他にも不思議なことがここでは起こるという。蛇がお参りに来たり、地中から光が出たり、大仏から光が出たりと、不思議だらけの場所である。パゴダの前は門前市をなしているが、その店の人たちがみな口々に、不思議な現象を教えてくれる。奥から証拠写真まで持ってきてくれる人がいたが、不鮮明な写真で、本当かどうかは定かでない。

 事実はどうであろうか、パゴダの敷地内にあるパゴダ管理所に行った。ちょうど事務局長と会うことができた。彼はこの職に就く前は学校の校長先生をやっていたそうだ。

 まず、宝くじについてたずねた。ロバ(欲望)、ドタ(怒り)、モハ(自我)の三つが心の中にあると、願いはかなわない。どこで買おうと同じだと、彼は断言した。じゃあ、ここで起こる数々の不思議な現象はどうだろうか。それは単なる噂で事実ではない。人々の心の中で脹らんだものだという。では、クレーンで大仏が持ちあがらなかった話はどうであろうか。最初に使ったクレーンは大仏の大きさに比べて小さすぎただけだ。その後に20トンのクレーンを使ったら簡単に持ちあがったというではないか。

 結局、この大仏にまつわる不思議な話は全て噂にしか過ぎなかった。いや、それは言い過ぎかもしれない。なにしろ、大勢の人たちが信じ、毎日100万チャット以上のお布施が集まる仏像である。となると、現代の神話といってもいいだろう。神話であったら、そこには何かしらの真実が隠されているに違いない。その真実とは何だろう。ふと思い当たった。もしかして、「中国に行きたくない大仏」という話に隠されているのでは。大仏とはビルマ人であり、ビルマそのものである。中国との国境貿易で栄える現代のビルマ公路。それで豊かになったビルマ人もたくさんいるだろう。しかし、巨大な中国に対する恐れや反発があるのを、今回の旅の中でビルマ人の中に見た。そうした中国に対する感情がこの神話を生んだのではと思えてきた。これはうがった見方であろうか。

 メイミョを出た車はつづら折りの道をぐんぐん下る。マンダレーに近づいてきた。それにつれ気温も高くなってきた。ビルマ公路も終点いや始点に近づいてきたようだ。



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