ミャンマーの民主化と日本

ミャンマー時事, 日本

ちょっと遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。

去年はミャンマーの状況が大きく変わり、私も驚いている。一昨年は選挙だったが、結果は軍政側のUSDPの圧倒的勝利。「これじゃ民主化も形だけ、政府は軍の傀儡で実質的には何も変わらないな」などと思っていた。知り合いの何人かのミャンマー人に聞いても同じだった。

ところが、去年10月のミッソンダム中止のあたりから急に雲行きが変わってきた。中国による大プロジェクトであったミッソンダムを中止するというのは、日本が普天間基地の国内移設を拒否するようなもんだ。いや、もっと大きなインパクトがあっただろう。その後は、クリントン国務長官の訪緬、NLDの政党再登録、アウンサンスーチーの補選出馬表明、KIAを除く各民族軍との停戦協定といように、怒涛の変化だった。

在外ミャンマー人の中には、難民資格を返上して帰国する人たちがけっこう出ているそうだ。最初の頃は民主化に懐疑的だった私も、もしかしてこれ本当?と思うようになってきた。しかし、一昨年制定された憲法も選挙制度も軍に有利で形だけの民主主義だったはず。それがなぜ本当に変わってきたのかと考えてしまった。そこで、はたと気がついた。形が重要? そう思ったのは、手元に「体制維新 ー 大阪都」という堺屋太一と橋下徹による本があったからだ。

そもそも本当の改革は、体制を変えることです。明治維新であれ、戦後改革であれ、あるいはソ連・東欧の社会主義の崩壊であれ、ことごとく体制を変えることが究極の目的であり、新しい時代の出発です。ところが日本では、戦後ずっと同じ体制、もっといえば明治以来ほとんど同じ体制が続いている。


国でも同じで、長く自民党政権が続いた後、1993年に非自民の細川政権ができました。その後の自民党政権でも、いろいろな政権が生まれ、改革を唱えました。まず人を変えたのですが、一向にうまくいかない。そこで今度は政策を変えようということになり、民主党に政権交代をしました。民主党は「コンクリートから人へ」のキャッチフレーズで政策を変えようとした。けれども、体制を変えようという話はいっこうに出てこない。だから成果が上がらず、また元に戻ろうとしています。

これはミャンマーに先を越されか。不十分とはいえ、彼の国は軍事政権から民主主義に変わりつつある。形が変われば中身も変わる。これを今、目の当たりにしているのかもしれない。次に形を変えなければいけないのは日本だ。

いや、その前に自分だな。