ヤンゴン爆弾テロ事件、誰が?・・・

ミャンマー時事

昨日の続きです。
昨日見逃していたのがひとつあった。去年12月のパアンでの爆弾事件についての記事に書いていたが、その中で、「強壮なビルマ学生戦士」が犯行声明を出したという朝日新聞の記事があった。この元記事はもう削除されていて見ることができないが、この「強壮なビルマ学生戦士」"Vigorous Burmese Student Warriors" は、1999年10月にバンコクのミャンマー大使館占拠事件と、2000年1月にタイ西部のラッチャンブリの病院占拠事件を起こしている。大使館占拠事件のときにはタイ当局は犯人全員をミャンマー側へ逃がした。その後、彼らはカレンの武装勢力KNUの分派である God’s Army と合流し、今度はタイの病院を占拠した。しかし、今度は10名全員がタイ治安部隊により射殺された。犯人の10名の中に大使館占拠事件の犯人が2名含まれていたという。その後、God’s Army の本拠地はミャンマー国軍によって制圧された

ヤンゴンの爆破事件でひとつ不思議だったのが、なぜタイの物産展会場を狙う必要があったかということだ。ショッピングセンターなどは富裕層が行くところなので、そこを狙うというのは考えられる。「タイ」を狙ったのが必然なのか偶然なのかは分からないが、"Vigorous Burmese Student Warriors"や"God’s Army"の流れを汲む者たちであればそこに必然性がある。

あと、8日のブログ「ヤンゴン爆発事件、続報」で

土曜日の午後3時、一般の人たちで賑わう場所をわざわざ狙った悪質なテロである。このようなテロはミャンマーでは前例がない。唯一あるのは、1983年に北朝鮮の工作員によるラングーン爆弾テロ事件である。

と書いたが、ミャンマー人から間違いを指摘された。88年以前のネウィン時代には幾度か一般人を狙った少数民族の武装組織によるテロがあったという。手口としては、一般客が乗っている列車を爆弾で爆発したり、客船を銃で狙っていたという。ただ、ヤンゴンでこれほどの大規模なテロは初めてらしい。