ミャンマー辺境映像祭
トップページにも書いたように、今度の日曜日に「ミャンマー辺境映像祭」が明治大学で行われる。ここで「ビルマ王朝の末裔をインドに探して」というタイトルで私も発表する。今はその資料作りの真っ最中だ。ミャンマーやインドとインターネットで連絡とったり、資料を集めたりで忙しい。学生時代からの一夜漬け体質は年をとってもなかなか変わらない。
今回の発表者の見渡すと、ディープで面白い話が聞けそうな ...
インドに住むティーボー王の子孫、現代の王女と王子
1年ちょっと前に行ってきたラトナギリの話が途中で切れたままだった。前回の話はここまで
ロイヤルファミリーの消滅とその後
この後、私が会ったPradeep氏の娘の写真を出すつもりだったが、本人に許可をもらったりしているうちにそのままになり、すっかり忘れてしまっていた。ところが来月、第4回ミャンマー辺境映像際で「ビルマ王朝の末裔をインドに探して」という演題で話をすることに ...
ロイヤルファミリーの消滅とその後
1885年、第三次英緬戦争で破れビルマ王朝は消滅しイギリスの植民地となった。ティーボー王とその家族は1886年、イギリスによりボンベイの南にあるラトナギリに追放された。ラトナギリに着いたのは、ティーボー王、王妃、王女たち3名(第4王女はまだ母親のお腹の中だった)、わずかな付き人たちだった。その時、長女であるパヤージー(Paya Gyi)王女(インドではファヤー王女と呼ばれている)はまだ3才だ ...
ティーボー王が海を眺めていた丘、Thiba Point
ティーボー王がよく海を眺めていたという場所が旧王宮の近くにある。地図には、Thiba Pointと書かれている(インドではティーボーのことをティーバと呼んでいる)。小高い丘の先端にあるので、河口、ラトナギリの町並み、そしてアラビア海が見渡せる。100年前、ビルマから追放されたティーボー王や王女たちは何を思ってこの景色を眺めていたのだろうか。今では地元の観光スポットとして、インド人の家族や恋人 ...