キンニュンは穏健派?
今回のキンニュン首相の解任、私も驚きました。ここ10年ばかりのミャンマーの政治的動きの中では最大のものでしょう。噂はいろいろ出てますが、実際にこれから政治がどう動くのか今のところ全く不透明です。
日本や欧米のメディアでも取り上げられていますが、各メディアは、「穏健派」キンニュン首相、「強硬派」タンシュエ議長とマウンエー副議長というような書き方をどこもしています。「穏健派」が「強硬派」に追い出されて民主化が遠くなった。というような認識で共通しています。でも、本当でしょうか?私も以前はそう思っていたのですが、「キンニュンが穏健派でマウンエイが強硬派というのはうそだ」ということをある人から聞き、なるほどと思ってしまいました。メディアの中で「穏健派」や「強硬派」といったレッテルが勝手に一人歩きし、記者の誰も疑問を持たず、枕詞のように使っているだけのように見えます。では、なぜキンニュンが穏健派と目されるようになったのか。それは、彼が対外的な窓口だったからでしょう。海外との交渉、国内での少数民族グループやNLDなどの民主化グループとの対外的交渉窓口は全てキンニュンでした。スーチー女史と会うのも職務からいうと当然です。優秀な彼は海外との交渉でも軍政の立場を上手くごまかしていたのではないでしょうか。
今回の解任劇で注目したいのは、軍情報部内で相当数が捕まっていることです。こちらの記事にも出ています。軍情報部というとミャンマーで最も強力で「優秀な」組織で、キンニュンもここのボスでした。今まで手入れする側だったのが手入れされてしまったのです。今回の政変は単なる首相一人の失脚ではありません。これからどうなるか、しばらくは様子を見るしかないようです。
ディスカッション
コメント一覧
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MI情報局が解体され、総入れ替えになると聞いた。また軍政の1ランク下にその位置が下げられた。1995年くらいから、ミャンマーに関する書物には、キンニュン氏が実際のところNO1で、上の2名は飾りと多くの人が語っていた。しかし、キンニュン氏がスーチー女史同様自宅軟禁になっても、ミャンマーの日常にはほとんど変化が見られない。テレビのニュースから、ある日突然ここ10年来最も露出していた顔が消えただけ。彼は広告塔のようにテレビを初めとするメディアに登場し、あれだけ多忙を極めていてはとても実務をとれる訳が無い。また、軍人の間からも、必ずしも人気が有った訳ではない。ベトナム物産展、18歳以下のテニストーナメントは今日始まったし、毎年恒例の芸術祭(歌や踊り楽器演奏などのコンテスト)も始まっている。内裏雛の頭が一つすげ変わっただけかも。*影響があったことを書き加えておく、MYANMAR TIMEから通達が来た、宅配契約しているこの週刊のジャーナルが今週は発刊できなかったようだ。あと2つばかり差し止められたジャーナルもある。いずれにしろ、多くの国民はあきれるくらい全てに無関心だ。
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http://www.nikkei.co.jp/news/main/20041022AT2M2203L22102004.html
によると、NIBのほうは完全に解体のようですね。MIのほうも解体はないでしょうが、権限は大幅に縮小されるでしょう。ただ、軍が今まで権力を維持することができたのも、MIがあったからこそではないでしょうか。そのMIの力が弱まるとなるとこれからどうなるか。国民にたいする軍の支配能力が下がるような気がしますが。