ヤンゴンにタミル人がたくさんいた

ヤンゴン, 民族

ブログの更新がしばらく途切れ、一部の友人たちに「あいつ、くたばったのでは?」と思われていた私ですが、くたばってません。怠けていただけです。 ということで、2ヶ月ぶりのヤンゴンからのブログです。

南インドの音楽に詳しい日本人の井生明さんが旅行でヤンゴンにやってきた。写真家・ロシア語通訳・南インド音楽専門家という多彩顔を持つ井生さんと一緒に、タミル人の集まりに出かけた。年1回ヤンゴンでタミル語の試験が行われ、その表彰式がこの集まりだった。雲南迎光會館(仰光はヤンゴンの中国名)と漢字で書かれた会館の大ホールにタミル人ばかり(たぶん2,000人以上)集まっていた。

3年間チェンナイ(マドラス)に住んでいた井生さんはタミル語がペラペラ(私にはそう見える)、その語学力を活かしてヤンゴンの南インドコミュニティーの人たちと仲良くなり、この集まりに誘われたのだ。インドに行ったことはあっても南インドに行ったことがない私は、タミルとインドの違いをあまり知らなかったし意識してなかった。タミル語とヒンディー語は全く違う言語で文化的もかなり隔たりがあるとか、映画も違うとか私も井生さんのおかげでずいぶんと勉強になった。

ステージの上ではタミルの踊りをやっていた。ずっと中腰でエネルギー消費量が多そうな踊りだが、一つ一つの動きがキマっている。それもそのはず、インドから呼んできたプロのダンサーたちだった。戦後間もない頃はヤンゴンにもプロのタミル舞踊家がいたという。南インドでも踊りの審査員をやっていたくらいの人だ。でも、今ではヤンゴンでプロとしてやっている人はいない。

タミルの踊り
南インドからやってきたタミル舞踊のダンサー

踊りの後は偉い人たちのスピーチが始まる。こういうのは日本でもどこでも同じ、観客は退屈そうだ。みんながあくびをしだした頃、井生さんが恰幅のいいタミル人に急に呼ばれた。なんと、ステージに上がって挨拶してほしいとのことだった。突然のことだったが、井生さんは慌てず(のように見えた)ステージの上に一人立った。ビデオ撮影している人たちを除き、会場は全てタミルの顔ばかりだ。井生さんがタミル語で話しだす。観客はみんなきょとんとしてた。目の前で何が起こっているのかよく理解できなかったようだ。たぶん、ヤンゴンでタミル語を流暢に使う日本人に初めて出会ったのだろう。そのうち事情が飲み込めたようで、嬉しそうな顔に変わってきた。最後は大歓声、タミル人ならみんな知っている有名なタミル映画の中のキメ台詞を井生さんが言ったからだ。

タミル人の観客の前でのスピーチ
大勢のタミル人の観客の前でスピーチする井生さん

 その後はタミル語試験の表彰式だった。緊張した子どもたちが次々のステージに上がり、トロフィーと商品をもらっている。こうしたことを地道にやっているから、タミル語を話せる人たちが多いのだろう。井生さん曰く、ヤンゴンで出会ったタミル人は上手下手はあるが、ほとんどタミル語を話せるという。中国語を話せない人が多い華僑と比べると大きな違いだった。

タミル語試験の表彰式
子どもたちが次々にステージに上がり、表彰された

ヤンゴンに住んで10カ月余り、最近マンネリ化を感じていた私だが、タミル人だらけの中に入ってなんだか初めての国に旅に来たような新鮮な気分になった。

こちらが井生さんのブログ&サイトです。
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Posted by 後藤 修身