ナガの旅 その3 〜 シンディ
乾季で穏やかに流れているチンドウィン川をボートはほんの数分で渡った。
川岸を上がるとすぐに町の中心だ。広場に大型トラックが2~3台集止まっていたので、ラヘーまで乗れるかどうかガイドのウェミンさんが交渉を始めた。2台目のトラックでOK。荷台に乗ると一人20,000チャットで助手席&シート席だと25,000チャットだ。かなり高いが、外国人料金で決まっているようだ。我々はロートル組なので無理をセず前のシート席に座ることにした。9時半の出発まで2時間ほど時間があったので、シンディの町を散策することにした。
シンディはカムティーよりもずっと小さな町だった。町のメインストリートもほんの3~4分で終わる。そのメインストリートの終わりに三叉路があり、真ん中に柵で囲まれた町の名前が描かれた碑があった。シンデ・サンピャー・チェーユワと書かれていた。サンピャー・チェーユワ は「モデル村」という意味になる。何のモデルなのか、現地で聞き忘れてしまった。
シンデは、「象が死ぬ」という意味だ。何でこんな縁起の悪い名前を付けたんだ? 伝説でもあるんだろかと、この時は思った。それに、地元の人の発音はシンデではなく、シンディに聞こえる。まあ、細かいことはいいや、ビルマ語によくある文字と発音が違うパターンなんだろうと思った。
その三叉路を左に曲がってすぐの家に目が止まった。家の縁側のようなところに少年が変な格好をしている。板に両足を通しているのだ。おお、江戸時代にあったような足枷じゃないか! どうも少年が何か悪さをしでかして、その罰として足枷をさせられてしまったようだ。これはナガ族に残っている風習なんだろうか。これも聞き忘れてしまった。この足枷写真はあるが、少年がかわいそうなので公開は控える。代わりに、ナガ族の若いお母さんと少女の写真をどうぞ。
シンディでは外国人はまだ珍しいようで、町、いや村を歩いていると子どもたちが近づいてくる。子どもたちと遊んでいると、一人の老婆がどこからか現れた。
「珍しいものがあるからちょっと来なさい」
70才以上だと思える腰の曲がったおばあちゃんだったが、言葉も物腰も強引だった。外国人相手のあやしい土産物売りに捕まったようだ。けど、外国人相手にしてはおばあちゃん英語を話さなかったぞ。まあいい、面白そうなのでちょっと寄ってみることにした。
捕まった場所からほんの30秒ほどでおばあちゃんの店に着いた。店といってもガランとしていてなにもない。壁にはミャンマーや中国のポスターが貼られていた。棚には薄汚れた人形やらプラスチック製のおもちゃやらライターやら薬のケースやらとても売り物には見えない。見る人が見たら価値のあるものなんだろうか。
おばあちゃんは一人で奥のほうへ入っていった。そして持ってきたのは木彫の人形。よく見るナガ族のもののようだが、ボロボロで今にも崩れそうだ。あまり興味なさそうな顔をしているので、おばあちゃんは今度はナガの帽子を持ってきた。これもボロボロであまりいい物には見えない。最後に、いつの間にか40代だと思える息子も現れた。「息子が病気で・・・」と、おばあちゃん。結局、顔の形の小さな金属ブローチを渡辺さんが買っただけだった。
興味深かったのはナガの骨董品ではなく、おばあちゃん自身だ。なぜ中国人のおばあちゃんがこんなところに住んでいるだ? 店の入り口には、「和合喜神」と描かれた札が貼られていた。これは雲南省あたりの家でよく貼られている札と同じものらしい。今、ネットで調べたばかりだ。
出発の時間がせまってきた。トラックの乗り場へ戻ることにした。9時半、我々は日産ディーゼルのトラックに乗りラヘーへ向かった。
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