ナガの旅 その6 ~ マッチャン村
9時半、バイクの用意も整った。清岡さん、渡辺さん、ウェミンさん、私と、それぞれ4名がバイクの後ろにまたがり出発した。出発したとたん、小雨が降ってきた。もや(いや、雲の中か)がかかり、前方は薄ぼんやりとしか見えない。それを4台はバオバオ、バオーンと軽快に音を響かせ走って行く。スピードメーターが壊れていて確認できなかったが、時速40Kmは出ているだろう。舗装はしてなかったが、平坦ですべり止めを施している道は、走りやすそうな道だ。つい最近できたらしい。
1時間弱走って、マッチャン村に到着した。バイクなので、あっけないほど近かった。徒歩だと半日から1日くらいはかかっていただろう。
まず、オヤジ達がいた家を訪問。4人で朝から酒を飲んでいた。日本の酒飲みオヤジと一緒で、ろれつが回らなくなっているオヤジもいた。ただ、ろれつがまわったとしても、言葉が通じないので会話はできなかったが。ナガにはいろんな部族がいて部族が違うと全然言葉も通じない。ガイドはビルマ族なので言葉が通じない。ドライバーに一人ナガの若者がいたが、部族が違うということでやはり通じない。結局、お互いワーワーと自分たちの言葉で言い合っているだけだった。
部屋の中を見ると、テインセイン大統領のポスターが飾られていた。ナガでは村々にテインセイン大統領のポスターやカレンダーが大量に配られたらしい。というのを、ドライバーから聞いた。ビルマ語が読めないナガの人は、テインセイン大統領を新しい映画スターと思っているかもしれない。いや、映画を見たことがないだろうから、ちょっと違うか。
男たち4名は酒を飲んでいるだけだったが、家の入り口では娘(だと思う)が一人黙々と米の脱穀をやっていた。昔ながらの杵と臼での作業だ。
飲兵衛屋敷を出て外を散策した。子どもたちが遠巻きにしてこちらを見ている。ビルマ語(ミャンマー語)で話しかけるが、全然通じない。この村には学校がないんだろうか。学校があれば多少のビルマ語が通じるのだが。それにしても、子どもたちだけで、大人を見かけない。さっきの家にいたぐらいだ。農作業にでも出かけているのだろうか。雨季の始まる前なので畑仕事が忙しいのかもしれない。
言葉が通じないということは、学校がないのか。それに、ここには教会もないようだ。キリスト教が入ってないからオヤジ達も堂々と朝から酒を飲んでいるんだろう。そう、なぜかナガのキリスト教(バプティストが多い)では飲酒を禁止しているのだ。キリスト教が強い村では男たちも酒をあまり飲まない。ビルマ語が通じなくて酒を堂々と飲んでいるということはナガの文化がたくさん残っている村だ。
文化が残っているのはいいが、何も話ができないとあまりやることもない。ということで、次の村に向かうことにした。
ディスカッション
コメント一覧
マッチャン村を検索していて辿り着きました。写真がとても素晴らしく、champur photoと合わせて有難く見せて頂いています。
自分も以前台湾の原住民部落巡りをしていましたが、最もしたいのに最も困難ででほとんどできなかったのが現地人を撮影する事でした。撮らせてというとカメラ目線になったり不自然な表情になって素の姿を撮れないし、許可を取るために話しかけるとその都度世間話が始まって時間がかかりすぎてしまい多くの部落を回れない、だからと言って無断で一方的に撮る事もしたくない。それで撮れたのは部落の遠景と、学校や教会にあるレリーフだけになってしまいました。
写真が素晴らしいというのは技術だけでなく、人々の自然な姿が伝わってくる事です。例えばヨシダナギさんも写真は綺麗だし人々に心開かせる技も持っているけれど、生活の自然な姿を撮った写真はあまり公表していません(元々あまり撮っていない可能性もあるけど、おそらく不自然に綺麗すぎる写真ばかりが有名になってその陰に隠れてしまっているんだと思います)。自分は盛るでもなくディスるでもなく、撮る側の意図を加えない、人々の等身大の写真が好きです。ナガ族に関する写真でこれほど自然に見える物を見た事がありません。有難うございます。
コメントありがとうございます。
私も人を撮るときは話しかけながら撮るようにしています。ただ、ナガの奥地の村ではビルマ語(ミャンマー語)が通じないところが多くて困りました。とはいえ、彼らの言葉で簡単な挨拶ぐらいができると反応は違いますね。また、ナガの人たちはカメラを向けても自然の表情のままの人が多いです。
そういえば、台湾の高地民族とナガの人たちとは文化的共通性がかなりあるようですね。私は台湾はまだ行ったことがないですが、チャンスがあればぜひ山に住む人たちのところに訪れてみたいです。