ナガの旅8 ~ サントン村、上へ
ナッサヤーの家を出た。さっきまで村を覆っていた雲も晴れ、村の全体が見渡せるようになった。村は奥に長くのびていた。一番向こうは小高くなった山の上だった。2Kmくらいあるだろうか。高いところがあるだったら行かなきゃと、村の一番奥を目指すことにした。
ちょうど、薪を背負ったおばあちゃんがやって来た。
「ペーチャーガティ」
と挨拶をする。マッチャン・ナガの言葉で、「お元気ですか?」というような意味だ。おばあちゃん、ちょっと不思議そうな顔をした。私が知っているのはこの言葉以外に3~4つ。会話にはならない。おばあちゃんは、そのままスタスタと歩いて行った。私もその後をついて行く。まるでストーカーだな。おばあちゃんは足が早い、私は寄り道をして写真を取っている。結局、私は置いて行かれてしまった。
それにしても静かだ。昼間の2時だというのに人がほとんどいない。子どもが遠くに数人見えるだけだ。これだけ人がいないのには理由があった。4月は雨季の始まる前で農作業で最も忙しい時期だったのだ。働ける人たちはみんな朝早く焼き畑まで出かけて、夕方戻ってくる。焼き畑が遠い場合は、小屋を作って農繁期の間そこで寝泊まりする場合もある。こんなわけで、4月のナガの村は静かだ。ちょっと坂がきつくなった。こんな坂でも家が地面にへばりつくように建っている。
一軒の家の前で40才前後の男性がいた。私よりずっときれいな格好をしている。「ペーチャーガティ」と挨拶すると、ビルマ語(ミャンマー語)が返ってきた。珍しく彼はビルマ語が話せるマティカという村人だった。彼の話だと、ここサントン村には120家族で840名ほど住んでいて、さっきまで我々がいたマッチャン村はこのサントン村から別れてできた村だという。
「最近まで村は自給自足で金は全然いらなかった。でも、今では金が必要なんでラヘーに働きに行っているよ。ほら、ソーラーパネルも買わなきゃいけない」
と、家の横に立てられたソーラーパネルを指さした。この村でもバイクを持っている人が何人かいるという。つい最近まで自給自足の生活だったのが、一気にソーラーパネルやバイクが流入してきた。それらと一緒に我々外国人も流入してきたわけだ。
頂上はもうちょっとだ。両脇に家が並ぶ村の坂をゆっくりと登る。おっ、子どもたちがいた。杵と臼で脱穀をしている。またまた「ペーチャーガティ」で挨拶した後、ビルマ語で「写真を撮るね」とカメラを向けた。お姉ちゃんのほうは最初は何がなんだか分からなかったようできょとんとしたが、すぐに走って家の中に入っていった。驚かせてしまったようだ。外国人がラヘーの奥の村まで来るようになったのは去年からで、それも少数だ。
頂上についた。頂上は藪になっているだけで何もなかった。頂上から奥も藪が続きその向こうにはもう少し高い山に続いていた。ここまでけっこう時間がかかった。ナッサヤーの家の出て30分くらいだろうか。誰にも言わずにここまで来たので、今頃私を探しているかもしれない。早く戻ることにした。
また雲の中に入った村をどんどん降りていく。村の入り口あたりまで来たが誰もいない。まあそのうち誰か来るだろうと待っていると、パンパンパオンとバイクがやって来て、みんなと合流できた。
「これから首輪を付けなきゃね」
などと言われながら、ラヘーへと帰途についた。
ドライバーは早く帰りたいようで、バイクを飛ばす。そのうち雨が降ってきたと思うと、土砂降りになった。落ちないようバイクにしがみつくこと1時間、やっとラヘーに着いた。
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