ミャンマーと北朝鮮

ミャンマー絡み

拉致問題が表沙汰になって以降、日本でもやっと北朝鮮という国の本当の姿を認識するようになってきたが、それよりずっと以前に北朝鮮の恐ろしさを身をもって知ったのがミャンマーだ。

ラングーン爆弾テロ事件(1)
ラングーン爆弾テロ事件(2)
1983年10月9日、韓国大統領一行がラングーン(ヤンゴン)のアウンサン廟を訪れた。ちょうどそのとき爆弾が爆発。韓国政府およびビルマ政府の要人たちが19人死亡した。全斗煥大統領は到着が遅れたために難を逃れた。この事件は世界を驚かせ、犯人についていろんな説が上がったが、2日後の11日、ビルマ政府は朝鮮人の犯人を捕らえたと発表した。犯人のうち1名は銃撃戦で死亡したが、2人を逮捕。11月4日には犯人の国籍が北朝鮮であると発表し、即日、国交断絶した。それも単なる国交断絶ではなく、外交措置として最も厳しい国家の承認取り消しであった。犯人の2人は裁判の被告となり、翌年の2月9日に死刑が確定した。

北朝鮮がテロ国家としての姿を世界に初めて示したのがこの事件であった。だが、北朝鮮の犯行だというのを信じなかった人たちも日本には多かったようだ。当時駐ビルマ大使だった佐久間平喜氏の著書『ビルマに暮らして』によると、

ちなみに、それまでビルマが北朝鮮と密接な関係にあっただけに、なおのことビルマ政府の本事件の調査と裁判は、国際的には公正なものであると受けとめられた。しかし、わが国のいわゆる「進歩的文化人」のなかには、北朝鮮への親近感のためか、ビルマの裁判に疑いの目を向け、北朝鮮犯行説に異を唱える人が多かったのには驚かされた。

と、書かれている。そういえば、この当時私はまだ20代だったが、本当に北朝鮮だろうかと疑ったことをぼんやりとだが覚えている。マスメディアの当時の(今でも?)「進歩的」な報道にだまされていたのかもしれない。

北朝鮮絡みはもうひとつある。『大韓航空機爆破事件』である。大韓航空機が消息を絶ったのがミャンマー沖のアンダマン海だ。爆破してバラバラになった機体がミャンマー領のアンダマン海に眠っているという。それにしても、北朝鮮が起こした国際テロの二つがミャンマーと関わりがあるというのは、何かの因縁があるのだろうか。