暮れゆくゴッテイ鉄橋
マンダレーからラショーへ至る鉄道がある。マンダレーから一気にメイミョ(ピンウールィン)まで列車は登る。メイミョを出てチャウメに到着する前に通るのがゴッテイ鉄橋だ。鉄橋としては世界第二の高さを誇り、また100歳以上という長寿も誇る。
1996年にマンダレーからの列車に乗り、初めて訪れて鉄橋の写真を撮った。1998年に同じく列車で通ったときには、撮影禁止だと言われ撮れなかった。3度目は2000年だった。この年はマンダレーと中国国境ムセの間を車で往復した(このときの写真と文章)。いわゆる援奬ルート(ビルマ公路)である。ただ、車道とゴッテイ鉄橋は距離的にかなり離れていて写真を撮るのは不可能であった。途中、脇道に入るとゴッテイ鉄橋の近くまで下りることができるという話を聞いた。それらしき道があったので、近くの僧院で尋ねた。すると、そこの僧侶が「私についてきなさい」とすたすたと歩き始めた。あわててその後を追った。30分ほど下ると、突然目の前が広がりゲートが現れた。そこには銃を持った兵士が立っていた。軍の基地であった。私は入っていいものかどうか躊躇したが、僧侶が近づくと、兵士は手を合わせてうやうやしく頭を下げる。僧侶は二言三言その兵士に告げると、私に入ってこいと言う。銃を持った歩哨の兵士の目を見ると、うなずいていた。いやはや、さすがミャンマーである。お坊さんは絶対的である。中に入ると非番の兵士たちが集まってきた。私が日本から来たと言うと、あっという間に兵士たちに囲まれた。といっても、尋問されたわけではない。みんな外国人と話すのが初めてだから珍しくて集まってきただけだ。兵士といえど、同じ人間である。
基地に着いたのが午後遅かったので、そろそろ日が傾いてきた。そうだ、ゴッテイ鉄橋の写真を撮りに来たんだと、最初の目的を思い出した。でも、ここの基地からは見えそうもない。兵士たちに尋ねると、兵舎の屋根から見えるという。ということで、滑りやすいトタン屋根に登ることになった。おそるおそる屋根の上に立つと、目の前の谷にゴッテイ鉄橋が姿を現した。傾いた太陽は枯れ草に残照を残し、谷は早くも暮れようとしていた。
ディスカッション
コメント一覧
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田舎の兵士のお兄ちゃんはやさしい人が多いですね。うちのG&Gのパートナーの親父も、若いころ10年間兵士やってたそうです。田舎の少年にとって兵隊はあこがれだったとか。 この鉄橋見たいですね。
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後藤さん、初めまして。毎日覗かせていただいております。
私もこの橋を列車で渡ったことがあります。2000年2月。
マンダレーからラーショーまで乗り、帰りはバスでシーポゥまでもどりました。
『ビルマ公路2000』の中にある『ソーポア(藩侯の館/シーポゥ』も懐かしく拝見させていただきました。
ありがとうございました。
(TB入れさせていただきました)
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http://sea.ap.teacup.com/kairug/223.html
↑がTBです。うまく行きませんでした。
(ばたばたとプログを汚しましてあいすみませんでした)
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じんたさん、はじめまして。トラックバックおかしいですね。ブログのタイトルが空白になっているけど、リンク先のURLはだいじょうぶのようです。また、だぶったトラックバックとコメントを削除しときました。ブログ拝見しました。シポーに3日間滞在されていたんですか。私は時間がなかったので1泊だけでしたが、静かでいい町でした。ミャンマーは何もない田舎の町や村が魅力的ですね。
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後藤さん。どうもお手数おかけしました。
シーポーで私の泊まったG.HのことTBさせていただきました。
ところで、私もゴッティ鉄橋をいたく感動しながらも、ビクビクと(笑)渡った者の一人です。近く、その辺の記憶を私のブログで書くつもりをしておるんですが、その本文中で後藤さんの
『暮れ行くゴッティ鉄橋』のアドレスをリンクさせていただいて
よろしいでしょうか?
私はその時、‘車窓よりゴッティ鉄橋を撮影する同行の青年の後ろ姿’を撮っておりまして、肝心のゴッティ鉄橋は撮れておりません。 そこで、『彼がとっていたのは ・この鉄橋・ 』
ということで、・この鉄橋・の部分にアドレスをリンクさせていただき、本文の末部に、エーヤワディのアドレスも紹介させていただきたいと思っておる次第です。
もし、認可していただけるならば、コメントバック、メール等で
連絡いただければ、幸甚に存じます。
(なお、TBの当方の記事は
2005/01/30 09:54PM
の左側の I I のところをクリックすると開くみたいですね)
ーーーー長文、失礼致しましたーーーーー
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じんたさんもあのビクビクしながら渡りましたか。あんな博物館行きのような鉄橋が現役なんて、ミャンマーはすごい。
リンクの件はもちろんOKです。
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はい、ありがとうございます。ではスイッチバックならぬ
フラッシュバックでマンダレーまで私の日記の時間軸を
戻しまして『鉄橋』?を渡らせていただきます。
ヨシンバ無事、通過したならば。報告。
(橋の向こうで旗でも持って迎え候はばこれ幸甚)
イッテキマース
仁 拝
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TITLE: シーポ郊外(藩王の家)
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Hsipaw:2000/2/23:(C):SHWE THEIN・・・・つうことで、シュテインに車で宿まで一旦送ってもらう。夕方、また迎えに来てもらってシャン・パレス(藩王の家)へ行く。元・藩王の甥っ子さんといろいろ話をする。シャン州で胡麻栽培を試している日本人の先輩の活躍…
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TITLE: シーポーの宿
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Hsipaw:2004/7/31:(C):Mr.Takema2000/2/22~24『Mr.Charles G.H』に泊る。この街で外国人旅行者が泊る事のできるゲストハウスは二軒しかない。ここはそのうちの一軒。街の中心部から、『藩王の家』の方向へちょこっと歩いた場所にある。とても瀟酒…
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TITLE: ソロ~リ鉄橋を撮る
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2000/2/22国境に近いラーショーへ向けて列車に乗った。マンダレー発4:45。 メイミョ着8:05発8:40列車はスイッチバックを繰り返しながら進む。ちょうど大昔の碓氷峠もこのようにして軽井沢へ入って行ったのだろう。もっとわかりやすく言えば、箱根登山鉄道…
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TITLE: マハトマ(メモ)
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ガンディーの行脚バングラデシュ・ラクシュミプールへ1946年には暴動で破壊された ベンガル地方へ行脚に出た。という。その際に訪れた場所のひとつがラクシュミプール。ベンガル湾沿いの場所。後藤さんに教えて貰った『ガンディーのビルマ訪問』の目的の一つが祖…