ぶらりミャンマー、河内のばあちゃんひとり歩き

ある方から、この本を贈っていただいた。
大阪河内に住む60歳代の安富美子さん。旅好きの彼女が96年に初めてミャンマーを訪れ、魅せられてしまった。それから足繁くミャンマーに通うこと8年間で20回、最後はこの本を書き上げるまでに至った。自費出版の本なので一般には出回っていないが、肩肘張らずに楽しく読める本だ。

ほとんど地方に旅をすることもなく、ヤンゴンに逗留していました。そして道ばたの青空食堂で町の人たちと同じものを食べ、甘いコーヒーを飲み、バスに乗り、至る所歩き回って過ごした日常のなかで遭遇した事を記したものです。

と書いているように、旅ものの本とは違い、ヤンゴンでの話が中心である。自分で「河内のばあちゃん」と書いているくらいだから、気取らない元気な方だ。好奇心いっぱいで、いろんなところに顔を出し、いろんな人と仲良くなっている。この本を読んだら、「あっこの人知ってる」と懐かしく思ったり、「そうそう、自分も同じこと思った」とうなずく人が多いのではないだろうか。また、ヤンゴンのアパートで一人暮らしの経験をしたくらいだから、普通の旅行者には分からない話も書かれている。

ある日のミャンマーの情景、

少し経つと、思いもかけない懐しい匂いがただよってきた。近くの家の台所からだ。見ると、目の荒い木の柵の問からうす青色の煙が立ち昇っている。そのほのかな煙が運んでくる懐しい薪の匂いは、小学生のころ疎開先の竈の前で知った匂いである。この匂いに数十年の時を引き戻される。その地方では「かまや」と呼んでいた天窓のある広い土間の台所の有様がたちまち脳裏に蘇ってきた。分厚い木のふたをした羽釜で炊いた麦ご飯のおいしかったこと。やがて、煙の匂いとともにおいしそうな匂いも昇ってくる。その家には最近赤ちゃんが生まれたのだろうか。激しい泣き声も聞こえてくる。幼児と母親らしい女性の声もする。そんな時、人が暮らしていることを実感するのである。

安さんにとって、ミャンマーは遠い少女時代に戻り感傷的になれるところでもある。私もミャンマーにいて時々郷愁というか、デジャヴュのようなものを感じることがある。「日本で失われたもの」なんていう使い古された常套句ではない何かである。安さんもこの郷愁的なる何かと、日本とは全然違う現実がごちゃまぜになったミャンマーを楽しんでいる。

この本に興味を持たれた方は、直接安さんに連絡してみてください。
メールアドレスが、
yasuyumi@d1.dion.ne.jp
になります。

Posted by 後藤 修身