ティンジャン '97 |
97年の4月にミャンマーに行ったときに体験したティンジャン(ダジャン、水かけ祭)の様子を書いたものです。エッセーとは言えないものですが、ティンジャンの様子が少しでも感じていただければ。写真はこちらにあります。なお、ここに掲載したものは去年ニフティの「イラワジのさざ波」に一度掲載したもです。
マンダレーにて 今年のティンジャン(ダジャン)は4月13日〜4月16日。13日はティンジャン・イブになるから、実質3日間。17日は新年。 私はマンダレーで14日〜16日を過ごした。マンダレーはティンジャンが最も華やかに行われるところだという。 街の中心にある王宮の回りには、皇居のように堀が巡らされ、それを囲むように200mおきぐらいにステージが作られている。高さ3m、幅20mほどのステージだ。そこに放水ホースを持った若者たちが陣取っている。ステージはタバコ会社などの企業やら有名レストランが仕立てたものが多い。マンダレー経済大学なんてものもあった。 ステージの上にはぴったりジーンズ、Tシャツ、サングラスという、普段お目にかかれないような姿の若い娘たちが多い。その水をかけてもらおうと、車が数珠つなぎ。トラックやジープなどのオープンになった車が多い。仲間や家族たちではしゃぎながら水をかけられている。 一方、普通の民家の前にも、水をかけようと待ち構えている家族たちの姿が見える。こんなふうに、どこに行ってもティンジャンの水から逃れるのが難しいのがこの時期だ。 ステージの上では、家庭用ホースから消防用ホースほどの太いものまである。この太いやつは危険。側面からやられると耳をやられる。子供や娘たちは耳をふさぎながら喜んで水をかけられている。 王宮回りのステージでは水は堀からポンプでくみ上げているから生暖かい。そのかわり、あまりきれいじゃない。家に帰ったら早めにシャワーを浴びなきゃいけない。
ロンジーは危険 ジーンズ・Tシャツ姿という、普段はあまり見かけられない姿の娘たちが多い。3割ほどいるだろうか。実際にかけてかけられ、納得。あの太いホースの水圧はすごいし、みんな大はしゃぎ。それに、濡れたロンジーは体の線をあらわにします。こりゃ危険だ。
狙いは・・・ 知り合いのステージに上がらせてもらい、一番太いホースを貸してもらった。面白い。娘たちが集中的に狙われるのも自然なこと。私の手も勝手にそっちに行く。隣のお兄ちゃんにどこを狙えばいいか教えてもらった。腰のあたりだそうだ。やってみて、納得。
どこの家でも ステージの水かけばかりじゃありません。どこの家でも家の前に大きな水がめを持ち出し、家族や友人たちで待ち伏せしています。お隣りさんと合同も。その前を通る人は誰でもお祝いの水をかけられなきゃいけません。窓を閉めたまま通り過ぎる車はブーイング。 いくらはしゃいでもお母さんからしかられることのない子供たちは大喜び。でも、本当はお母さんの方がはしゃいでいるのかも。
恋の始まり 町中でナンパなんて不可能に近いミャンマー。好きな子がいてもなかなか声をかけられない。でもこの時期は男女ともオープン。意中の人がいれば、声をかけるいいチャンス。回りの人も気にかけません。告白できなくても水をかけるのは自由。その子にだけ何回もかけると顔を憶えてくれるかも。 それに、女性から告白する年に一回のチャンス。好きな男のうなじに、そっと水をかけるそうです。でも義理水もたくさんあります。まるでバレンタインデーのよう。
お坊さんと警官と 誰にでも情け容赦なく水をかけていいティンジャン。でもこの人たちにはかけちゃいけない。 「お坊さんにかけたらどうなるの?」 今年は警官が多いそうです。各ステージに3〜4人。交通整理や喧嘩の防止も兼ねている。たまに、銃を持った兵士たちも。間違って警官にかけてしまった私を、隣りの兄ちゃんがあわてて止めた。でも、狙わなくてもステージ近くに立っている警官は、跳ね返りの水でびしょぬれ。
寒い この季節、マンダレーあたりでは連日40度を超す。でも、ティンジャンの間だけは寒くなる。 ずっと水をかけられていると、こりゃ寒い。ぶるぶる震えている人もいる。それでもまた水をかけられに行く。この期間は氷屋も大繁盛。あちこちで氷を載せたサイカーが走っている。氷水攻撃が流行っているためだ。この攻撃は強烈。生ぬるい水かと思っているところに突然の氷水。
三日酔い 普段は酔っぱらいの地位が低いミャンマーでも、この三日間だけは大いばり。寒いだろうから飲め飲めと、さかんにすすめられる。でも酒になれていない彼ら。足元フラフラ、朝はゲーゲー。それでも酒好きは、一年分をまとめ飲み。最後はそこらで酔いつぶれ。
けんか 一年分の水と、一年分の酒で大騒ぎのティンジャン。これじゃけんかも一年分。 乗せてもらった車を運転していた30才過ぎのお兄ちゃんが、ささいなことから隣りの車の若者たちと罵り合いを始めた。寒さか興奮のためか、ハンドルを持つ手がブルブル震えている。一緒に乗っていた親戚のおばちゃんがそんな彼の姿を見て、そのお兄ちゃんを怒鳴りつけていた。それで彼もシュンとなった。 今回見た一番派手なけんか。 この後どうなったかは、分かりません。
今年は静か? モスク襲撃や小包爆弾騒ぎの後だった今年のティンジャン。普段より警戒が強かったという。 ステージの数では少なかったそうだ。いつもだと、ちょっと金のある人たちは家の前に個人でステージを作っていたそうだが、今年は禁止されたそうだ。それに、いつもは軍のステージもあるそうだが、それもなかった。 警官の数がいつもより多いという。けんかで捕まると監獄にぶち込まれると言っていた。そのわりにはよくけんかを見たが。 マンダレーでは夜8時からの夜間外出禁止令だったのが、ティンジャン初日の14日からは、10時からに繰り下げられた。今でも10時から。禁止令はそれほど厳しいものではないという。この時間を過ぎても多少は人が歩いている。全ての地域を監視できないし、捕まっても普通はIDカードを見せれば、早く帰れと言われるぐらいだそうだ。 ミャンマー人に言わせると、今年はいつもより静かだったという。しかし、私には初めてのティンジャン。充分過ぎるほど刺激的だった。これ以上となると、う〜ん、想像を絶します。
ティンジャンとナッ 静かでおくゆかしくいといったイメージがあるミャンマー人。でも、ティンジャンのときは全く違った。朝から酒を飲み、大騒ぎ。女の子には卑猥な言葉をかけ、かけられた女の子も黙っちゃいない。そんな喧騒の中には猥雑さも感じる。 去年タウンビョンで見た、ナッの祭りを思い出した。そこはもっと強烈だった。オカマが巫女の役割をして、踊りながら陶酔状態になっていた。取り囲む信者たちも陶酔状態。ティンジャンよりもっと猥雑で、動物的な体臭を感じた。 大きな声を出したり興奮することがはばかられる社会では、いくら信心深いミャンマー人でも、発散できずにいた動物的エネルギーが溜まっていたんだろう。祭りで一気に爆発させていた。 17日、前日までの喧騒が幻だったかのようにいつもの静かな世界に戻った。太陽だけは祭りの時と同じようにジリジリと照り付けている中、人のいなくなったステージが残っていた。一抹の寂しさを感じながら新年がやってきた。 |