星空の話 ミャンマーの古代星座については一般には全く知られていませんが、横浜市在住の西山峰雄さんが個人的に研究しています。ミャンマーでは古代より独自の星座が存在していました。考古天文学的には世界的に見ても興味深い事実です。西山さんのご厚意により掲載しました。興味をもたれた方は、私までをいただければ西山さんまで連絡します。「ビルマの星座」の初出は「星の手帳」’91年夏号です。 なお、ホームページ掲載にて一部の漢字がJISの第1・第2水準になかったので表示できませんでした。その漢字はローマ字表記で音(日本語読み)だけ表示しました。 資料画像 ビルマの星座 〜付・東南アジアの星座〜 西山峰雄 著 1995年(平成7年)10月24日の皆既日食をミャンマー(ビルマ)で見る人は,ヤンゴンですばらしい古代星座図を見ることができるかもしれません。今では悪名のみ高いのですが,ビルマ独立30人志士の1人であるネ・ウイン元大統領が市の中央部にパゴダを建設中です。その天井に,140年前のビルマ独特の星座図が模写復元されつつあります。本稿ではこの星座図を中心に,東南アジアの星座について払が調へたことを述べてみます。最初にお断りしておきますが,私がこの方面に関心を持ったのはわずか2年前で,まだ調査継続中です,既存文献の見落としや勘達いがあるかと思われますのでご指摘いただければ幸いです。 1.アマラブラの星座図 ビルマ第2の都市マングレーの南10kmにアマラプラ(Amarapura)という町があります。1757年成立しタイのチェンマイやアユタヤまで攻略したコンパウン王朝が1783〜1823年,1838〜1856年の2回ビルマの首都とした町です。この遷都も占星術によって行なったと記されていますが,その東郊のタウンダマン村にパージード王が建てたチャウトージー(Kyawtawgyi)寺院があり。その参道の円筒形の天井裏に3種類の星座図が描かれています。2枚は北極を中心とした同心円状の星図で,天球の経緯線が入れてあります。これをA図,B図とし。経緯線がないもの(天の赤道または黄道を接線として円筒図法で展開したものらしい)をC図とします。 この星座図は東洋においては他に例を見ない珍しいものと思います。日本では講談社刊の遺跡の本「パガンの仏教壁画」(1978年),「世界の大遺跡」第12巻「アンコールワットとポロブドール」(1987年)に写真が紹介されています。外国では,美術書などはわかりませんが,天文書には紹介されていないようです。描かれた絵はバビロン,エジプト,西欧,中国系のいずれとも異なります。星座名からはインドのヴェーグ神話。ヒンズー教に由来するものか多いようて,西方世界の影響はまずないという感じです。 この図には皆さんよくご存じの黄道12宮はなく。月が1日ごとに宿っていく27星宿が主体です。赤道の北には9主要星座が北極星を取り巻いています。絵は各図に共通のものもありますが,同一の星座について異なった絵が描かれているものもあります。たとえばカシオペヤ座の鷺,オリオン座の亀,ふたこ こいぬ,おおいぬ座による船,はくちょう座の象,みなみじゅうじ座の船に乗った漁師などは共通ですが,おとめ座がAでは虎。Bでは掌,Cでは不明,さそり座がAでは頭部は孔雀,中央部はバラモン,尾部は竜の尾,Bでは1匹の竜,Cでは不明,1799年に68個のビルマ星座の存在を紹介した英国人プキャナンの報告では,頭は孔雀,中央部は不明(山羊?),尾部は猫というような調子です。ビルマ暦委員会ARBBのエー・ウイン・チョーさんにも聞きましたが,もともと非常に古いもので意味のわからないものがあり,完全に訳すことは不可能とのことでした。 各図は若干異なった神話とか,分点の時期を違えて描かれているのかもしれません。 各図に描かれている絵と単語の数は次のとおりで,比定できた星座の数は約40,単語数の1/4くらいです。
現在A図のビルマ文字をローマ字のアルファベットにするのは,大阪外大の大野徹先生と在ミャンマー日本大使館専門調査員の高橋ゆり先生にお願いして,一応全部済みました。辞書引きのほうは約半分まで進みました。そのうち,星宿名が約20%,バーリ語系が50%,ビルマ語系が10%,残りは系統不明です。ローマ字と,意味のわかったものは日本語を書きこみました。手書きで読みずらいでしょうがルーペで見てください(図1)。 個々の星座名は,27星宿名のはかは。ヴェーダ神話の神々の持ち物,法螺貝,三叉戟,蓮華,虎の皮,神々の乗り物の動物が目につきます。星宿については図3,図4,図5も参照してください。 星座名の意味のわかるもので著名なのは。前頁のほかに,スバルは6匹の雛Kattika昂宿,ヒアデスが赤牛Robini畢宿,絵では2匹の魚:しし座の一部が猿Maga星宿;おとめ産が虎Citra角宿;馬の首Asavani婁宿;現学用星座と比定はできないのですが,殿堂Pasadada;船TbiTlbo:法螺貝Kbayutbin;鹿角Tamingo;金盃Sbwephala;耳Sota;心Citta;智恵Panya;網袋Sikka;守護Gutta;速さJava;鉄釘Sanyon;死生Cuta;紐Yotta;色(色即是空のしき)Rupa;親交Samvasi;蹴爪Chesu;四辻Cutuka;太鼓Bheri;傘Hti;月Masuka;金星Kyo;木星Teiなどがあります。 さらにおもしろいのはTei木星,Kyo金星の名が経度16時10分,15時45分付近にある事です。各時点の分点で視位置を出すと1841,1853,1865年のいずれの会合か判定がむずかしいのですが,春分点の移動を考慮しないNirayana式の推算によると1853年10月28日ころとなることが斉藤国治,矢野道雄両先生により判明し,この寺院の着工年と一致します。そういう意図で描かれたのかどうかわかりませんが,もしそうだとすると,措かれた内容から絵の年代決定ができたのはビルマで初めてだろうとのことです。あるいは単に木曜,金曜という星座かもしれません。 ビルマ国語辞典によるとビルマの星座は9主要星座,12宮,27宿の他に94個の一般星座があると書いてありますが,その名前や位置は現在わかっていません。 また「星の見方と物語」には,“古代ビルマの天文学者は,天空の星を形によって158のグループに編成して子々孫々に残した。しかし現代では端数の58ですら正確には指し示す人は少ない”と書いてあります。チャウトージーはこれを全部描いたものではないでしょうか。 2.その他のビルマの星座図 〜イェーザジョーとパヤトンズー 1990年夏第2回ビルマ研究者のつどいで大阪外大の原田正美さんよりマンダレーの西南西100kmにあるイェーザジョー(Yesagyo)寺院の天井画の星座図(D図)の写真をいただきました。北天の9主要星座(鷺,からす。天竺鴛鴦,蟹,天秤,髪飾り,漁師,象,馬)がカラーで描かれており,スバル(からすとヒンダの間の7匹のひよこ)や魚の尾など他の星座は淡い線図になっています。鷺とからすの問,髪飾りと天秤の問にある尖塔のようなものは太陽と月の乗った車の上部だろうと思います。次のパヤトンズー(Paya Tonzu)の図には右に孔雀(太陽),左に兎(月)が乗った車が描かれています。D図に文字はありません。 大野徹,井上隆雄両先生著「パガンの仏教璧画」(1978年)の第212図にアマラブラ市内のパヤトンズー(Paya Tonzu)寺院にある「須弥山と七金山」の図の背景に17個の星図が描かれています。これは仏教の宇宙観を表わすもので,須弥山にインドラ(帝釈天)を中心に四天王がおり。その後ろに9主要星座の一部と27星宿の一部が描かれています。説明の文字もあり,9主要星座の1つ1つに各3個の星宿が並行して進むと記されていますが,地色が黒ずんで全部は読み取れません。「三界経」によると“鉄囲山と持双山の問の空間が太陽と月の通る軌道で。そこに牛の軌道,山羊の軌道,竜の軌道の3道がある。27宿のうち,璧宿から井宿までの9個は山羊の軌道にあり,鬼宿からtei宿までの9個は牛の軌道。房宿から室宿までの9個は竜の軌道にある。3本の軌道の中には黄道12宮がある”などと述べられています。こうした宇宙観はビルマ,タイ,ラオス,カンボジアなど上座部仏教圏には共通に伝わっているものだそうです。1782〜1808年ピルマを訪れたイタリアの宣教師サンジェルマノはこの字宙観を述べ,さらに8惑星(ラーフを加えた日月火水木金土)の記録を残しています。 パヤトンズーと同様に,北極星を回る9主要星座の各々にあたかも3つずつの星宿が付属しているような模式図が現代にも別にあります(図2)。そのいわく因縁の説明はついていません。この9主要星座はビルマ独特のもので,中国などの九曜星とは関係ありません。9主要星座は下記のように現行の学用星座に比定できるように思います。
3.27宿の由来 27宿の名前はインドではB.C.13〜5世紀のリグ・ヴェーダにロヒニーなど数個の名前が見え,アダルタ・ヴェーダには全27宿の名前が見えています。A.D.5世紀のマハーバラータのシャクンタラ一姫,ナラ王物語。マーラヴィカー,ウルヴァシーなどの古典サンスクリットの演劇脚本には,すばらしい言いまわしの韻文の中に,“月に寄り添うロヒニー妃の如く”,“ロヒニー星宿と鹿紋章の月輪との神格御夫妻”,”お月様がヴィシャーカ星宿に寄り添われるかのよう”,“満月の明光が魔神ラーフゥにより呑み尽くされた暗夜のような”,“火星がもとの星宿を目指し,曲線軌道をたどるなんてことのないように”,”月勢の変わり目どきにもあらずして,惑星の蝕に月輪かげる”など星宿の引用が多数あります。マヌ法典にも,“薄暮には星座の明らかに見ゆるまでサーヴィトリー讃歌を誦唱すべし”,“蝕により月を不浄となしたる時には3日間ヴェーダの誦唱すべからず”など関連した文が見えます。 インドネシアのジャワ島のポゴール付近で発見された5世紀ごろのプールナヴァルマン王の4個の碑文(チアンペア,ヤムブ,クボン=コピ,ツグ)の1つにグランク文字でインドの月名および星宿名が記されているという,フォーヘルという人の報告がある由ですか,まだ見る機会を得ていません。このころスマトラを基盤とする強大なスリヴィジャヤ王国を仕立てあげたマレー人船乗りかもたらしたものでしょうか。 初期ヴェーダ時代のインドの毎月の名前は,今でもアフリカやフィリピンなどに残る農事暦と同様に「暑い月」「黒雲」「収穫」などの季節現象の名前ですが,後期になると「チチッカ」「チートラ」「ヴィサーカ」などのように,満月がかかる星宿名を太陰暦の月名としています。これはタイ,ネパールなどでも行なわねています。 ビルマにおいて12宮の名は,1476年タキン・トェー王女を相手に歌われた史謡の中に,金牛宮,巨蟹宮,宝瓶宮,処女宮などが出てきます。 下って1487年に書かれたと思われるシン・オッタマジョーの詩文「トーラー(森の慕情)」や,1517年シン・オンニョウがパーリ語の短い経文を60個集めた「六十偈」に9主要星座や星宿の名前が出ています。9主要星座は純粋のビルマ語の綴りですから比較的新しいのですが,1500年以前には世に出ていたことがわかります。 余談ですが,弘法大師空海は大同元(A.D.806)年に27星宿を記載した「宿曜経」「摩登伽経」「舎頭諌太子二十八宿経」などを日本に持ち帰り,昴宿以下28宿の名と占いは今日まて生きています。日本での研究は大正から昭和10年代にかけて,小野清氏を始めとして。東西多数の研究者がおられ,大崎正次さんの「中国の星座の歴史」で概要を知ることができます。海外ではGinzel,Kaye,Jaggi,Filliozat氏などの資料が役に立ちました。野尻抱影先生の「星と東方美術」中の「古代インド二十八宿名考」には28宿の漢名,意訳名,音訳名をサンスクリットとパーリ語の面から検討されており,たいへん参考になります。集まった名前は一覧表にしたいと考えています。 4.ビルマ星座注記 現代ビルマの天文啓蒙書としては文学者ミン・トゥ・ウンさんの「天上の星ひとつ」,在野の科学啓蒙家らしいパゥンデー・ポンチーさんの「星の見方と物語」「深遠なる宇宙」があります。西洋の天文学や星座の紹介が主ですが,「天上の星ひとつ」には現代のビルマ星座名があり,星雲や銀河を“白い吐息”と見ているのは実感がこもっています(表1)。 一般の星座名はビルマ語をローマ字に直すのが一苦労で。まだ確実に直せたとは言えません。意味についてはなおさらで,ビルマ人でもわからないものが多いのです。ビルマ語は,子音の数は33個ですが,母音,複合母音および母音記号の数は50個以上で,日本語はもちろんローマ字でも表わしにくい文字が多いのです。直しなから,ビルマ,パーリ,サンスクリットの辞書を引いていただくのですが容易なことではありません。 1991年3月の彗星会議のポスター発表に「じゃがいも」Alluttaがあるから新大陸発見後の命名もあるのだろうと書きましたが,Arruttaと読むべきだったようで。葱科の球根植物ですけれど「じゃがいも」ではありませんでした。訂正してお詫びします。rはビルマ文字にはないのです。 一般の星座名にビルマ綴りが少ないことから大半はインドからの借用語かと思われますが,インドに固有の星座名が見あたりません。あれだけの古代文化を発展させ経文を残しながら,自国内に観測記録類がないのは民族性でしょうか。後世のジャイシン,ウルグベグの星表の星座名は数個を除いてプトレマイオスの48星座名を使っています。 チャウトージー寺院はビルマ仏教全盛時代の12世紀に建設された有名なパガンのアーナンダ寺院を模して作られたと聞いています(アーナンダは釈迦の第1弟子の名前)。それならばアーナンダにも上記各種の星座図と同様の図が描かれていたのではないでしょうか?この寺院は信仰厚く後代の補修手入れが行き届き,璧や天井は塗り直されて,今は真っ白で過去のことはわからないそうです。 日本において「星と東西民族」p.95〜102に野尻抱影先生が,富田新作氏の戦地からの便りとして紹介された10個ほどのビルマの星名はほぼ正しいのですが,北斗七星はコニシンチよりもクンナ・シン・チェーが。太陽はニー,月はラーとありますがネー,ラが実際に近く。また星の一般名称とされたアールシンはビルマ語ではなくてチン族の方言であり,ビルマの一般的な名称はチェー(恒星),ジョー(惑星)てした。 5.ビルマ・タイ・インドの27星宿とそのシンボル この3国は星宿の発音はほとんど同しですがシンボルは多少異なります。また,別名も多くいろいろ伝来した土地で変わっていったと思わわます。ビルマ・インドのシンボルの絵を図3と図4にかかげます。ビルマのシンボルは名前のわからない動物がたくさんいます。インドのシンボル名は「インド学大事典」のシンボルと完全に合致します, タイのシンボル図は入手できていませんが,星座名は27星宿が主体で,その異名を加えると67,12宮も異名を加えると22となります。一般の星座は北斗七星,北極星,みなみじゅうじ座の3種類7個だけで,合計96個の星座名が富田竹二郎「タイ日辞典」に収録されています。タイ百料事典にもシンボルの絵は出ていません。タイは今回あまり収集努力をしていませんので,もっと探せば出てくるだろうと思っています。バンコック日本人会の河原錦二さんから占星術の面で使用される27星宿名の異名を少しいただいています。6匹のひよこが。親鶏が煮られている鍋のなかに次々に飛び込んで,お客の接待にわが身を提供したという民話の原本もわかっていません。 6.他の国の星宿の参考一覧表 図5に中国・ビルマ・インド各国NAKSATRA星宿の比較図をかかげます。中国系とインド系は距星どころか星座そのものが違います。インド系は黄道・白道から遠く離れたものがあり,ビルマはそれからまたいくつか別の星座になっています。 図6はカンボジアの星宿図です。これもインド系ですが,名前シンボルともかなり違います。画像になっているのは27個のうち9個だけです。ビルマのとは1/4くらい合致するようです。13世紀末,元の周達観が書いた「真蝋風土記」には,”この国では蝕の予報はできる”とありますが,星座名は記されていません。 モンゴル人民共和国国立公共図書館に,すべての星を経線で28の星座に不等分に分割し,同心円の緯線を加えた古い天体図があるとダムディンジャヴィン・マイダル著加藤九祚訳:「草原の国モンゴル」p.132−136に出ています。天の鹿石とか,ハンの宮廷生活と結びついた個々の星のモンゴル名,惑星の軌道についての理論などが出ているとのことです。誰か見た方はおられませんか。 なお,バビロン・エジプトには27星宿に関する星座名はないようです。アラビアにはありますが,発音・意味は全然異なります。 7.バリ島ジャワ島などヒンズー教のウク暦に見る星座 世界中どこでも年月日に十干十二支のようなものを割り当てている例は多いのですが,バリ島のウク暦は毎日に星座を割り当てていると言われています。7日の週ウクと5日の週パサランを組み合わせた35日が1つの単位で循環し,日の吉凶が決められています。一番上は左から右に日月火水木金土の神様。2行目から6行目までは5日の週です。この35日の一番左上は15日目,そのすぐ下は1日目の象,その右下が2日目寡婦,次の右下が3日目貨物を満載した船というように見ていきます。一番下は半人半獣です。まだ調査中ですが,18目目スバル,29日目崇左,35日目ラフーの3個だけ天体であるとわかっています。6回まわると210日,それが1年という暦で,30のウクにヒンズーの神様30人が割り振られています。 8.暦にかかわる星宿名 ビルマでは一時期,日本の十二支のように,年の区別に星宿から取った名前を割り当てていました。12年周期です。木星がその年に宿った星宿名でしょう。インドの月名と同じくほば1つおきにあらかじめ決められた12個の星宿名を使っています。12世紀パガンの碑文にはこの星宿名で年の表示をしているのが600件ほど見つかっています。しかしその後なぜか実施していません。元の進攻に遭って敗れ使用禁止としたのか,縁起が悪いので止めたのか。わかりません。インドにもともとからブリハスパティbarhaspatyという木星の12年周期の星宿名があり,これが伝わってきたものでしょう。インドの3番のジャイスタがチッカに。4番のアサダーがアーパットに,7番のアスピナがアテンになっているほかは発音も同じです。 インド,タイ,ネパールの太陰暦の月の名は,先に述べたように27星宿から選ばれており,その発音も似ていますが,アラブ以西とはまったく異なる呼称ですし,ミャンマー,ベトナムは全然別の名前です。タイの太陽暦の月は12宮の名前ですし,インドネシアはオランダ系(英語と同じ)の名前です。ビルマの月の名前は近隣とまったく異なっていて,語源,意味ともにわかっていません。十二支はタイ,カンボジア,ラオス,ベトナムには昔から入っているが,ビルマ,インドには入っていないなど伝来の経路は混交しているようです。この方面もまとめて書いておきたかったのですが今回は時間が不足でできませんでした。文献も充分にまとめる暇がなく本文中に少し書きこんだだけで申しわけありません。 9.むすび 以上の調査にあたってたくさんの方々にご指導をいただきました。特に大野徹教授。高橋ゆり先生,大橋由紀夫先生にはひとかたならぬお世話になりました。深く感謝の意を表する次第です。今回の調査で東南アジアなど途上国には民族学や文化人類字の専門家がまだ視点を向けていない未知の文化情報がまだ多く秘められているのではないだろうかと感じました。これを機会にアジア各地で別の星座図が発見でき,新しい系列の星座の歴史の糸口になればよいなと思います。この方面の情報をお持ちの方はお知らせいただきたく,また各地へお出かけの機会を利用して現地語のカレンダーや暦法,天文,占星術の本を集めていただけるとうれしい次第てす。 横浜市在住 西山峰雄 |
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