その4 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
by 後藤 修身
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ムセの東隣はパンサイン(チューゴウ)で、西隣はナンカンである。今でこそ緬中貿易で栄えるムセであるが、その昔このあたりの中心地はナンカンであった。戦時中、ナンカンには日本軍の司令部もあった。また、アメリカ人神父が病院を建てたのもこの地であった。そしてまた王朝時代から伝わる話だと、ここは美人の産地だった。 現在のナンカンは、隣のムセに比べるとひなびた雰囲気であるが、古い建物などに往事の賑わいを感じさせる。そして、最近は中国人の団体観光客がよく訪れる地でもある。彼らがこぞって見に行くというステージショーの店へ行ってみた。入り口には『奇人奇技』などと書かれた、この町には似つかわしくない毒々しいポスターもある。入場料は60元(870円)である。私が行ったときには客がいなかったのでステージショーも行われていなかったが、店の人のはからいで、特別にショーの写真を撮らせてくれることになった。室内は赤いライトで照らされた、100人分ほどの椅子に、20cmほど高くなったステージ。しばらく待つと、胸元が大きく開いたセクシーなドレスを纏った美女が現れた。いや、正確に言うと、おかまである。 ビルマではおかまとよく出会う。この国ではおかまの存在が独特である。いや、独特というのは正確ではない。ひたすら隠れる存在でもないし、ことさら声を張り上げる存在でもない。そこにいるのが当たり前なのだ。これはビルマだけに限ったことではなく、東南アジアでは共通する認識かもしれない。一般的には欧米での同性愛者の地位は高いと言われている。しかし、欧米が持つ元々のキリスト教文化では、同性愛者は存在すら認められていなかった者たちである。それが近代の人権思想の中で、差別されていた人たちが立ち上がった結果、社会的権利を獲得した。ただ、社会的権利を獲得したといっても、文化的には今でも負のイメージを引きずっている。正直に生きようとすると『カミング・アウト』しなければいけない世界だ。それに対し、日本を含めたアジアの文化では同性愛者には比較的おおらかであった。そのおおらかさを今でも色濃く残すのがここビルマのおかまの存在である。友人が住む村へ遊びに行って、「私の叔父はおかまなの」と、本人の前で平気でそう紹介されたこともある。美容院に行くと美容師全員がおかまだったというのもよくある。そういえば、「男のほうが仕事をやりやすいからだよ」と言った男装の女性(おなべ)にも会ったことがある。おなべもけっこういるのだ。また、ビルマの古くから伝わる宗教ナッの世界では、ナッカドーと呼ばれる霊媒師の多くはおかまである。と、まあ、ビルマのおかまを書きだすときりがない。 ステージに立った「美女」はディスコミュージックに乗り、セクシーな振り付けで踊る。そして、今がシャッターチャンスだというように、時々ミエを切って、にこっと笑う。ピンクのすけすけドレス、黒い網タイツ姿、ビルマの山奥でこんな姿を見るなんて思ってもいなかった。 彼女はナンカン生まれの26歳。子供の頃から女の子の格好をするのが好きだった。ステージでの仕事も、女の格好でできるから楽しいと言う。今では夫(普通の男性)もいるし、車も持っている。ナンカンでは金持ちである。ちょっと肩が張っているが、身のこなしは女性そのもの。ちゃんと胸もある。声も低めであるがこれくらいの声の女性はたくさんいる。外ですれ違ってもおかまとは気がつかないだろう。もしやと思い、「本当の女?」と、聞いてみた。答えはイエス。タイで性転換手術を行っていたのだ。そのせいもあってか、この店では彼女がNo.1の売れっ子だそうだ。 ステージショーも話も終わったので帰ろうとすると、彼女がちょっと待てという。そして、そのまま彼女の控え室へ。女の匂いでむんむんとしていた。後ろでカチャリと、ドアの鍵を閉める音がした。彼女は両手を背中へ持っていった。ピンク色のドレスがはらりと落ちた。黒いブラジャー、黒いパンティー、黒いガーター、肌色のストッキング姿が現れた。あっけにとられた私を差し置いて、彼女はブラジャーも取った。あっという間の出来事であった。そして、小さめの乳房を手のひらで持ち上げるようなポーズを取る。撮影の催促であった。うながされるままシャッターを押した。カメラを持つ手がちょっと汗ばんできた。そのままカメラをバックにしまおうとしたが、その後またまたとんでもない姿(いや、薄々予想はしていた)を目にした。それは持ち返った写真だけが知っている。 |
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