ビルマ一カ月の旅ばなし
舟橋左斗子 著
目次
1、「ありがとう」を言わない国
2、どうも解せないこと / ゴールデンロック参拝道中で
3正義のために死ぬ覚悟 / マンダレーの一夜
4世にも美しい男の園 / アマラプラの僧院探検
5大人より大人な子供たち / 古都パガンは今も健在!
6時は金ならず / ミャンマー国内の移動途中

世にも美しい男の園 / アマラプラの僧院探検
 その日私は美しい風景に出会った。
 一年中緑が緑のまま透明に輝く木立の中に、力強く、細く引き締まった足首で、大地を踏みしめて立つ青年達がいた。青年というにはあどけない幼い顔立ちも交じってはいたが、どの顔もおどおどした不安げな表情を残すものはなく、突然出現したカメラをもつ日本人にまっすぐな視線を向け、そして力一杯微笑んだ。

 マンダレーから南へ、乗り合いミニトラックの荷台につかまって、石ころ道を振り落とされないように踏ん張りながら30分ばかり我慢すると、アマラプラという、小さな、美しい街に着く。この街に、千名近い僧侶が衣食住を共にする、かなり大きな僧院、マハガンダーヤン僧院があった。マンダレー滞在中に、この僧院のうわさを聞いて、ある日、私は訪れてみた。僧院の門をくぐると、だだっ広く開けた白っぽい土の広場があった。細くてまっすぐな木々がすくっと伸び、てっぺんに黄緑色のみずみずしい小さな葉をいっぱいつけて、三メートルくらいの間隔で、整然と並んで生えていた。その、広々として、光が透明に降りそそぐ乾いた木立の中に、赤茶色の袈裟をまとった青年僧達が立っていたのである。袈裟のナチュラルな赤色は、白い大地と若葉の緑、木漏れ日とそして青年達の生き生きとした笑顔とのコントラストで、何とも美しく、そのまま額に入れて部屋に飾りたいような衝動に駆られるものだった。

 私がお坊さまに興味を覚えるようになったきっかけは、もとはといえばお坊さまそのものよりはこの国の人達の言動を通してのことだったと思う。人々の心根の美しさに感動させられる度に、彼らの”心”の背景のひとつには”仏教”があるのだろうと感じ始めていた。ビルマ人の心が、私達の常識で理解できる範囲を超えていると思う以上に、この国のお坊さまについてはわからないことだらけだった。わからないが故に、余計に興味のそそられるところもあるのだろうと思う。

 仏教の中では女性は不浄の存在である。タイの小舟にお坊さまと乗り合せたとき、舟が揺れて私がよろけそうになったとき、「おお」と叫ばれてよけられた経験もあったので、最初、お坊さまとは、手を触れることはもちろん、目を合わせてもいけないものだと思っていた。しかし徐々に、ミャンマーの僧侶がそれほど女性や観光客や、それにカメラさえも、嫌ったり意識したりすることなく、また思っているほど厳かに静かに過しているわけでもないということが判明し始めてから、私の興味は押さえていた当初にも増してムクムクと大きく頭をもたげてきていた。

 なんといってもミャンマーではお坊さまは(不謹慎ながら)、美しかった。タイのお坊さまは眉をそっていることもあって、何となく人相が悪いし太めのお坊さまも多い。一方、ミャンマーのお坊さまは、皆が皆、太りすぎず、痩せすぎず、程よく筋肉のついたムダのない体型をしていて、見ていて気持ちいいのである。青年僧が夢を持って僧となり、自信を持って暮らしていることも、彼らがいきいきとしていて美しい要因かもしれない。また単純に、若い僧の多いことも一因であろう。

 さらに、洗いざらしの、シンプルだけれど清潔感あふれる袈裟も、彼らを引き立てていた。お坊さまの袈裟の色は、仏教の発祥の地インドに近いところから、赤に始まり、西へ向かってミャンマーで赤茶、タイで黄、韓国ではグレーになって日本で黒となる。暑い国の僧侶たちは、黒い袈裟を着て主に葬式に登場する日本のお坊さまとは、存在感も、印象も随分違っていた。ビルマの僧侶たちの着る渋い赤色の布は、土の色にもよく似合ったし、木の茶色や葉の緑、また乾いた草ぶきの家の色にも良く合ってきれいだった。

 この国では、まったく”生産”という機能を担わない、僧侶という存在が、お金もない、衣食住も他人任せの暮らしの中で、もっとも尊敬され、また同時になくてはならない位置を占めていた。彼らの消費(食べることや住むこと)はミャンマーの人々のお布施によってまかなわれているわけだけれど、”お坊さまが食べていくこと”はこの国の社会の経済の循環の中に、ちゃんと自然な形で組み込まれていて、同時に精神面では人々の大きな支えとなり、やはりこの国の社会の精神的なバランスを保つ要となっているようだった。貧しくても疲れていても、人々はお坊さまを尊敬しお布施をする。ミャンマーの街を午前中に出歩くと、托鉢僧達の連なる長い列に出会うことがある。家々を訪ねて歩くと、手に抱え持った托鉢盆にご飯や果物がたっぷり供される。大きな僧院では毎日大量に食事を提供する人があり、ボランティア(この言葉はビルマでは適切でないように思えるが)の手で、食卓に並べられる。

 人々が、精神的満足のよりどころを”お金”に移行しはじめ、宗教を顧みなくなった国では、お坊さまはお布施だけで食べていくことが難しくなり、疑いなく誇りを持って出家することもむずかしくなる。お坊さまが”食”の心配をしなくてはならなかったり、人々から邪険に扱われ始めるとどうなるだろう。経済の循環や社会の精神バランスのなかからはみ出し初めて、何となく肩身が狭くなってくることだろうと思う。タイ、特に都心部のタイはそんなふうに変化してしまった国のひとつではないだろうか。タイで10年もお坊さまとして暮らした後俗世に戻って商売を始めた青年が、自分にとって大切なのはお金だというのを聞くとき、また薄汚れた身なりの修行僧に出会ったとき、そんなことを思った。ミャンマーでは僧はものを持たないのは当然だけれど、洗いざらしの袈裟はいつも清潔で、毎日水を浴びた僧達はいつもさわやかで、薄汚れた僧を見ることはまずなかった。

 マハガンダーヤン僧院の入口で若い僧達の笑顔に迎えられてから、私はさらに奥へと歩いていった。敷地内には、いくつもの木造の舎屋が余裕を持った配置で並んでいたが、いずれも良く手入れがゆきとどいていて清潔で、ピカピカに磨かれた古い木の住まいは、涼しそうでとても居心地が良さそうだった。木々が随所に生え、緑の小さな葉を通して、日本の初夏のような乾いた光が、建物の木の壁にチラチラと影を落として、僧院内は贅沢な避暑地のようだった。僧達の手で洗われたばかりの袈裟が、まだ水滴を滴らせながら、木の枝と枝を結んだひもにかけられ、それが何枚も連なる様子は、赤い濃淡が織り成す絵模様のようで、天然素材の布は、木や草の自然な色に良く馴染んで、違和感なく景色を華やかにしていた。

 ビルマは年じゅう暑い国だが、私の訪れた乾季は、日影に入るとひんやり涼しく、少年僧達は、屋根だけをしつらえた、壁のない、高床の小屋に、座り込んだり腹這いになったりして、鉛筆を持って勉強していた。本を読むものもいた。水場で水を浴びている僧もいた。木陰のベンチで横になり、袈裟にくるまって良く眠り込んでいる僧もいたし、白い土の上に足を伸ばして座り、細長い棒状の織り機を使って赤い布を織っている僧もいた。静かで過不足のない、満ち足りた時が流れているように見えた。

 息子が生まれたら一度はお坊さまに、と莫大なお金をかけて、なにはさておいても親は得度式を上げてやる。どんなに貧しくともウチにお金がなくともお布施はする。年をとっていても若い僧侶に席を譲る。…盲目的にまで見える計算のない純粋な信仰の心が、見返りを期待しない親切にあふれるこの国の精神文化を作り上げてきたのだろうか。私達にとっては不合理とも思える数々の慣習を前に、いちいちことを”合理的かどうか”というものさしで見てしまう自分達の方の価値基準に疑問を抱かざるを得ない境地におとしいれてくれたミャンマーの人達に、今は感謝である。

(実はこの次にミャンマーを訪れたとき、私はこの僧院で約10日間を過ごしました)

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